キリシタン時代トレント公会議を背景に、日本でも聖人の取り次ぎを求め、その生き方を模範とする教えが日本語に翻訳し伝えられた。しかし、宗教改革者たちによる批判やトレント公会議の宣言は、当時ヨーロッパにおいて迷信的な聖人崇敬が広く行われていたことの証拠でもある。
戦闘時に聖ヤコブ(サンチャゴ)の名を叫ぶ習俗は、レコンキスタの戦いを機にイベリア半島で広まったものであるが、日本にも聖人伝などを通して伝えられ、実際に島原天草一揆に於いて一揆軍が用いていたという。またカクレキリシタンの伝承にも、ヨーロッパ起源の守護聖人への信仰やヴェロニカら伝説的聖人の存在など、16-17世紀の宣教に典拠を求めることが可能なものがある。
このように聖人崇敬の点から見ても、キリシタン時代日本人が受容したキリスト教が、中世の流れを強く受けていたこと、南欧特にポルトガル・スペインの地域色が濃いものであったことが明らかである。